帰国時オリエンテーションで、感謝状をいただきました。




田町駅で人身事故があり、朝の山の手線が運行を見合わせていました。
現役時代後半でも、結構頻繁に人身事故がありました。あっという間に、その時に戻されてしまいました。



それにしても、貯金を持たない、持てない人が多いホンジュラスの人の方が、堂々と生きているように
思えます。豊かと思える日本の方が、生きにくい社会というのは、何とも割り切れません。



広尾にあるJICA地球ひろばに、帰国したボランティアが集合しました。
机は、国毎に、まとめられていました。ホンジュラスは、Aさんと一緒でした。



この日のプログラムの中に、帰国後の社会還元活動についてというコーナーがありました。
講師は、ホンジュラス青年海外協力隊員として活動されていたSさんでした。



任国で驚いたこと、また、帰国した日本で、驚かされたことを書かされました。
書きやすさは、例え2年間とはいえ、任国では、慣れが生じてしまい、かえって、日本の方が新鮮な
印象を感じられるものと言われましたが、そのように思いました。



当初、ホンジュラスで驚いたことは、名前が2つ、名字も2つ、あるいは、全部で5つもある人がいて、
更に、あだ名まであったことでしたが、その時には、思い浮かびませんでした。新鮮な思いのうちに
書き留めておかないと、どんどん薄れていってしまうものなのかも知れません。



海外での2年間、否、青年海外協力隊員の海外での2年間というのは、人を、本当に大きく成長させる
もののようです。Sさんは、シニア海外ボランティアを前に、見事な講師を務められました。



終了後、何気なく図書室を覘いたら、ついこの間までJICAホンジュラス事務所で調整員をされていた
Wさんに、声をかけられました。Wさんも、ここに勤務されておられるようです。



たまたまなのでしょうが、世間の狭さを感じました。






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