2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

チリでM8.8 死者122人 東京新聞の記事です。

建物損壊、通信も寸断 [ニューヨーク=加藤美喜]米地質調査所(USGS)によると、南米チリで二十七日午前三時三十四分 (日本時間午後三時三十四分)、マグニチュード(M)8.8の大地震が発生した。震源地は同国中部の コンセプシオンの北北東一一五?付近で、震源…

バンクーバー冬季オリンピックで、大昔を思い出しました。

日本も韓国も、女子フィギュアスケート 浅田真央選手・キムヨナ選手の宿命と言われる対決に 釘付けだったようです。共に19歳、誕生月まで同じで、ジュニア時代からライバルとして競い 合ってきていたことが報じられていました。どのように採点されるのかは分…

今回の南米バス旅行の日程です。

2009.11.24 成田空港−(UA)−ワシントンD.C. 2009.11.25 ワシントンD.C−(UA)−(アルゼンチン)ブエノス・アイレス 2009.11.26 ブエノス・アイレス 浦和先生から国際電話 2009.11.27 ブエノス・アイレス 中務先輩・レストラン日本橋 2009.11.28 ブエノス・…

アルゼンチンから帰国して1週間が経ちました。

香港のグラ爺が心配してくれた時差ボケは、それほど激しくないものの、目に花粉症の兆候を 感じていました。花粉症は、もう治ったものと、気にも留めていませんでしたが、メガネを かけていない分、花粉に直撃されていたようです。 既に、花粉症のシーズンが…

中南米関係の博物館というのは、ないようです。

吉川弘文館発行の歴史手帳には、文化施設一覧の頁があり、日本全国の博物館や、図書館、 美術館などが記載されていて、古代オリエント博物館もあります。 アルゼンチンで入手したペルー関係の骨董品について、何処に問い合わせたら良いのかと思い、 懇意にし…

今回の南米バス旅行のコースです。

成田空港 ✈ (ワシントンD.C) ✈ 「アルゼンチン」ブエノス・アイレス − プエルト・マドリン (世界自然遺産バルデス半島保護区) − コモドーロ・リバダビア − リオ・ガジェーゴス − (チリ領通過) − 「アルゼンチン」ウシュアイア (ティエラ・デル・フエゴ国立公…

祝 元賣先輩、スペイン語通訳案内士試験合格!

元賣先輩は、既に、英語の通訳案内士資格を持っておられるそうですから、 今回のスペイン語で2つの難関を突破されたことになります。スペイン語 学習の一つのけじめなのでしょうか、最難関の通訳案内士資格を取得される ことで、付けられたことになります。…

恩師・浦和先生を訪ねました。

浦和先生宛に、ブエノス・アイレス中務先輩から、言付かったものがありました。今回の旅行の お礼と報告を兼ねてお目にかかりたいと思い、電話したところ、食事しましょうと、快く応じて いただきました。また、Dr.KENこと同期の角倉を誘ってくるように言わ…

TBSテレビ番組で、アルゼンチン・ウマウアカ峡谷が紹介されていまし

新聞のテレビ欄を見ていたら、TBSテレビ「知っとこ!」の番組に、南米の世界遺産の村で、 という文字がありました。 南米の国というのは、アルゼンチンのことでした。 アルゼンチンにある9つのユネスコ世界遺産の中から、ウマウアカ峡谷(QUEBRADA DE HUMAHUA…

今回の南米旅行を振り返りました。

日本を出国して帰国するまでは、1回の旅行ですが、その中で、通過した国の数も含めると、 アルゼンチンに6回、チリに3回、米国は経由で2回、ボリビアとウルグアイに、それぞれ1回、 入国したことになります。 90日以内なら無査証で入国出来ますし、新たに入…

帰国の成田空港は、曇りでした。

ユナイテッド航空897便は、定刻通りに到着しました。 ブエノス・アイレスの空港では、2階へのカート利用は、禁じられていました。危険防止のためには、 当然の処置と思えます。しかし、成田空港のカートは、エスカレータでも利用できました。このこと だけで…

ユナイテッド航空846便ワシントン行は、ほぼ満席でした。

ブエノス・アイレス・エセイサ国際空港では、ユナイテッド航空のチェックインカウンターの前で、 セキュリティ関係の口頭質問を受けました。誰が、何時、荷造りをしたのか、人から預かった荷物が ないかなどを尋ねられました。 チェックインカウンターと並ん…

帰国の日を迎えました。

ラ・プラタ川は、川だと判っていても、とても川とは思えません。中務先輩から、この向こうは、 ウルグアイだよと言われました。ラ・プラタは、スペイン語で銀のことですが、川の表面が、銀の ように光って見えたから、そのように名づけられたのではないかと…

加納先輩の日本料理レストラン「いちそう」へ行きました。

加納先輩の「いちそう」は、「日本橋」から、歩いて5分ほどの所にあります。 中務先輩から、「日本橋」の開店では、店選びの段階から、加納先輩の協力を得られたと伺っています。 「いちそう」の営業日は、月曜日から土曜日まで、また、「日本橋」は、火曜日…

サンテルモの日曜骨董品市に連れて行ってもらいました。

日曜日の一方通行6車線の通りには、車が数台しか走っていなくて、歩いている人も見かけませんが、 サンテルモの一角だけは別なようです。 日曜日の骨董品市には、大勢の観光客が集まっていました。 中務先輩の話では、以前、このサンテルモ地区は一等地だっ…

出て来い!出て来い!拓大生! 中務先輩の思いです。

昨年10月、池袋で、拓殖大学ラテンアメリカ研究会60周年記念イベントが、催された際、中務先輩ご夫妻と、 ほんの少しお話させていただきました。ご夫妻は、大勢の人達と話を交わされていましたので、恐らく、 記憶に留まるようなことはなかったかも知れませ…

高木一臣先輩に会うことが出来ました。

中務先輩に連絡をとっていただき、高木先輩に、日本料理レストラン「日本橋」で、会うことが出来ました。 いただいた名刺には、ラ・プラタ・ホーチ(LA PLATA HOCHI)と、アルゼンチン海外向けラジオ放送局(R.A.E. RADIODIFUSION ARGENTINA AL EXTERIOR)の文字…

ブエノス・アイレスの市内観光バスに乗りました。

モレーノ通りから7月9日通りに出て、フロリダ通りから、エディフィシオとマデーラ通りにあるユナイテッド 航空へ行きました。既に、インターネットで査証免除が承認されていて有効期限内なのですが、米国に入国 した際に、確認しておくように言われていたこ…

ブエノス・アイレス市内を歩きました。

中務先輩が車で通る度に、政府関係の建物のようだけど、手を後ろに向けて、賄賂を要求している像がある と教えられていました。車からでは、よく判りませんでしたが、やっと写真を撮ることができました。 先輩から、アルゼンチン特産のローサ・デル・インカ…

中務先輩から、ウルグアイ時代の話を聞きました。

中務先輩は、以前、モンテビデオでも暮らされたことがあるそうです。 1983年、ウルグアイ国が、軍政から民政へ移行する前後の数年間だそうです。軍政と聞くと、何か圧政の ような印象を受けてしまいますが、ストライキなどもなく、仕事面では、やりやすかっ…

ラ・プラタ自然科学博物館に連れて行ってもらいました。

ブエノス・アイレスから、自然科学博物館のあるラ・プラタまでは、高速道路で40分位でした。 中務先輩の話では、恐竜の全身の骨格が展示されているそうです。月曜日は、お店が休みなこともあり、 奥様にもお付き合いいただきました。愛犬サーシャにとっては…

ブエノス・アイレスへ戻りました。

市内観光ツアーバスの利用で、効率良くモンテビデオと、プンタ・デル・エステを見ることができました ので、ブエノス・アイレスへ戻ることにしました。 プンタ・デル・エステからブエノス・アイレスまでは、ブーケブスのバスと、フェリーで乗り継げました。 …

モンテビデオとプンタ・デル・エステで市内観光しました。

ツアーバスが市内のホテルを巡ると、ほぼ満席になりました。 ツアー客の大半は、ブラジル人とアルゼンチン人で、他には、チリ、メキシコ、米国人でした。 午前の半日市内観光は、独立広場から始まりました。モンテビデオという名前は、小さな山セッロ(CERRO)…

ウルグアイに入りました。

コロニアまで、フェリーで1時間だそうです。ツーリストクラスとの料金差は、約1,000円でしたので、 ファーストクラス(234ペソ・5,850円)にしました。 長い列を並んで搭乗窓口に着いたら、隣が受付窓口と言われてしまいました。インフォメーションから、 どの…

この日も中務先輩に案内してもらいました。

中務先輩から、もう一度、銀行の骨董品を見に行こうと誘われました。骨董品に造詣が深い先輩には、 ウルグアイ時代に、オークションでドイツ大使と競られたことがあるそうです。 既に、骨董品が気になる段階を過ぎていて、購入される積もりのようでした。結…

41年振りに、高橋先輩と再会しました。

高橋先輩は、2期上の先輩です。ご本人のお名前よりも、同期の知念さんと演じられたスペイン語の 語劇祭での主役アルバロとして、今も深く印象に残っています。 中務先輩の呼びかけに応じられて、「しゃぶしゃぶ日本橋」で再会出来ました。 いただいた名刺に…

中務先輩に、案内していただきました。

ラ研OB会・南米ツアーの時に好評だったブロッコリーノ イタリア レストランで、ドクトル・ジバゴと いう名物スパゲティをご馳走になりました。少し塩分が濃いサーモンと、赤と黒のキャビア風の魚卵 が、スパゲッティに、のっていて、絶妙な味となっていまし…

加納先輩を訪ねました。

加納先輩は、日本料理レストラン「いちそう」のオーナーで、ブエノス・アイレスに暮らして30数年に なられるそうです。お店が休みの日に連絡したにもかかわらず、快くお会いいただきました。 ただ、店内が一部改装中ということで、写真は控えさせていただき…