土曜日のテレビで23年前の旅行を思い出していました。

ギリシャユーゴスラビアへの14日間の添乗(1990年9月29日から10月12日)で、
ユーゴスラビアでは、ベオグラードサラエボ、モスタール、ドゥブロブニク、
コトール、スベティステファンをバス旅行しました。

市内観光のコースに、チトー大統領のお墓が組み込まれていました。その時、
最後の団体になるかも知れないと言われたことを覚えています。お墓を警備
しきれないので閉鎖されるようでした。当時のユーゴスラビアは、7つの国境、
6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、それでも1つの
国家と表現されていました。

内戦が始まったのは1991年のことでしたが、既に、不穏な空気が漂っていたの
かも知れません。



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