スヤパ教会の殉難慰霊碑訪問行事に参列しました。




スヤパ教会には、3人のJICAホンジュラス青年海外協力隊員の方々の慰霊碑があります。



JICAホンジュラス事務所で配布されたマンテニミエント委員会発行のパンフレットによりますと、



1986年10月3日、任地モロリカで活動を行っていた4人の隊員が、首都テグシガルパへの帰路、乗車していた
ランドクルーザーが崖下へ転落するという事故に遭遇し、1人が重傷、3人が死亡しました。



1987年10月9日、3人の隊員を慰霊、供養するために、殉難慰霊碑が建立されました。この慰霊碑は、当時の
協力隊員によってデザインされたもので、ホンジュラス国をシンボルとするコーヒー豆に、亡くなられた
3隊員の方々の名前が刻まれています。



現在では、マンテニミエント委員会が、年に1回、ホンジュラス南部チョルテカから東北へ約70kmの所に
ある小さな村 モロリカを訪問、更に、スヤパ教会へは、年3回の訪問、また、モロリカ事故現場の十字架、
並びに、スヤパ教会の殉難慰霊碑の維持、管理を行っています。



追悼集「若い力」には、「これから何十年経とうとも、決して、このような惨事が二度と起こらないように
努力することが私たちの使命であり、また彼ら3人への供養でもあると思います。」と、結ばれています。



命日に当たる今日、JICAホンジュラス事務所所長始め職員の皆さん、また、青年海外協力隊隊員、専門家、
JICAシニア海外ボランティア諸氏が、スヤパ教会に集まりました。そして、JICAホンジュラス事務所
S所長の追悼の言葉の後に、黙祷を捧げました。



ホンジュラスに着任後、間もなく案内されたのは、ここスヤパ教会の殉難慰霊碑でした。奇しくも、この日の
訪問行事には、JICA青年海外協力隊昭和60年2次隊員で、亡くなられた3人の隊員の方々とは同期だった、
今はJICAシニア海外ボランティアのK氏がおられました。また、1期上の隊次のO氏も、JICAシニア
海外ボランティアとして、そして、亡くなられた3人の内の教え子だったというY氏も、ここホンジュラスで、
JICA青年海外協力隊隊員として活動されています。



JICAシニア海外ボランティアの場合は、志願して来ていますので、程度の差こそあれ、それなりに、
万一の場合の覚悟もあるものと思われます。さりとて、事故に遭遇することなど、想定できる訳もありません。
日常の日々を安全に過していれば過しているほど、危機意識は、薄らいでいくことになります。
この危機意識こそ、慣れることなく、いつも心していなければならないものなのかも知れません。



23年前、3人の青年海外協力隊員が、ホンジュラスの地で、24歳、27歳、28歳という若さで亡くなられましたが、
3人の隊員の方々の志の尊さには、何も変わりはありません。マンテニミエント委員会が続く限り、毎年訪問
行事が行われ、語り継がれていくことになるものと思われます。



謹んでご冥福をお祈り申し上げます。









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