歴史秘話ヒストリアは、水戸黄門でした。

この印籠が目に入らぬか。ドラマでお馴染みの定番シーンです。水戸黄門の諸国漫遊の旅が作り話だった
ことは知っていましたが、明治になって作られたものだとか、また、東京と大阪では、設定が異なって
いたなどということは知りませんでした。



実際に諸国を旅したのは、介さんでした。武家の次男坊でしたが、寺で修行させられていました。35歳の時、
学問の方針のことで喧嘩になり、寺を出て、水戸の徳川光圀を訪ねます。仕官でき、以後、大日本史編纂の
ための資料を求めて、全国を旅することになります。



介さんは、寺で眠っていた資料を掘り起こし、書き写しては、江戸に送っていました。熊野では、南朝関係
の資料があるものの断られてしまいました。こんな時、水戸黄門の手紙が威力を発揮したそうです。
黄門というのは、中国の官位で中納言の位だそうです。



覚さんは、介さんから送られてくる資料を吟味し、その根拠が何処にあるのかを明らかにする役目でした。
朱で筆が加えられていました。



徳川光圀は、歴史が必ずしも正しく伝えられているとは思っていませんでした。
常に、史実を確認することを求め、出展を明記させていました。大日本史編纂を命じたものの、生きている
間には、見ることが出来ませんでした。しかし、その遺志は、水戸藩の事業として引き継がれ、明治に完成
しました。400巻にも及ぶものだそうで、250年がかりということになります。



徳川光圀は、大日本史編纂事業が、一代でできるようなことではないことを知っていて、後世の優秀な人に
まとめてもらうための資料集めをしていると言われていたそうです。文化財なども手厚く保護されていました。



水戸黄門のドラマも面白いのですが、実録・水戸黄門も楽しめました。





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