ハイチ大地震するJICA職員 大井英臣さん 70歳

東京新聞の記事です。



若い世代へ 技術や経験 世界に通用
 日本は途上国あるいは世界に貢献できる技術や経験をたくさん持っている。例えば、バングラデシュでの
サイクロン対策のシェルター整備など、日本の援助が成果をあげ、感謝されている例は少なくない。誇りに
思っていい。国内外の専門家会議や現場では、参加者は40代がほとんどだ。私の子どもと同じ世代で、彼ら
を見ていると、みながんばっているなあと思う。年齢は関係ない。世界の困っている人たちのために、ともに
がんばっていこう。



力蓄え、夢の国際貢献
 「二〇〇四年のスマトラ沖地震でも現地を見たが、ハイチのほうが深刻。犠牲者は千九七六年の中国・唐山
地震(死者約二十五万人)を上回るかもしれない」
 一月十三日(日本時間)に発生、死者二十万人以上といわれるハイチ大地震国際協力機構(JICA)の大井英臣さん
=千葉県柏市=は、国連開発計画、世界銀行などで組織した国際チームの一員として、先月六日から同二十一日
まで現地に調査に入った。復興に向け何が必要か調べるのが任務だ。
 日の丸を背負ったような仕事。「チームでは、間違いなく最高齢」と笑う。
 現場は悲惨な状況だった。犠牲者が多かったのは、人口の過密地区である首都ポルトープランス地震が直撃
したため。火災の発生は少なかったものの、コンクリート製の建物が崩壊し、多数が下敷きになった。
 がれきの撤去は進まず、推定約五十万人が首都を離れて避難生活を送る。現地は混乱し治安は悪く、警備員と
一緒でないと出歩けず、被災民への聞き取り調査も難航した。
 だが、あきらめない。「日本には建物の耐震技術だけではなく、地震で半壊した建物を修理するか取り壊すかを
判断する技術も経験もある。日本ができることは多い」
 もとは建設省(現・国土交通省)で河川改修や洪水対策などの防災を担当していた。温め続けた「国際協力の分野で
仕事をしたい」という思いをかなえるため、五十歳でJICAに転職した。「JICAの国際協力専門員受験資格が五十歳
までだったから」だ。
 専門員としてフィリピン、スイス、ネパール、中米のバルバドスにそれぞれ三年間駐在。自然災害の被災地にも赴く。
 「駐在時代は防災、災害支援の国際協力が言われ始めたころで、やりがいもあり楽しく仕事をしてきた」
 今は「民間企業でいうと、一年契約の職員のような立場」の「アドバイザー」。だが、最前線で活動する仕事は
変わらない。
 仕事の傍ら続けている趣味がマラソン。大学時代はボート部だったが、「仕事を始めたら団体競技より個人競技
方が気軽にできる」。行き着いたのはマラソンだった。「一日に走った距離を手帳に記録することが楽しみ」で、
一月は十?を二十六回(日)、合計二百六十?を走った。国内外のマラソン大会にもこれまで五十回ほど出場している。
 「六十九歳でのベストタイムは三時間五十二分。マラソン大会への出場は続けていきたい」と衰え知らずだ。
鍛えた体力・気力は仕事でも役立つ。先月二十八日にハイチへ再び出発、現地調査を継続中だ。 (草間俊介)







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