マエストロこと中野さんの一時帰国歓迎会に出席しました。

中野さんは、現在、産業の首都と呼ばれるホンジュラス第二の都市サンペドロスーラの音楽学校で
活動されていますが、以前、大統領直属のホンジュラス国立吹奏楽団(バンダ)で指揮者として活躍
されていました。



バンダを伴う国の公式行事では、常に大統領と一緒で、大統領からマエストロと親しまれていました。
恐らく、日本人の中では、大統領に一番接していたと言えるかも知れません。当時のセラヤ大統領は、
ドミニカに移られたそうです。一時は政変で混迷していたホンジュラスは、平穏を取り戻している
そうです。



現在のバンダの指揮者コンラドさんは、コンサートを見に来ていた中野さんを見つけると、壇上で
皆さんに紹介され、指揮を乞われたそうです。もちろん、その場にはいませんが、その時の会場の
様子が容易に目に浮かんできます。



中野さんは、コンラドさん始めバンダの音楽指導をされていました。前任者が敷かれたレールの上を
走っただけと、控え目に話されていましたが、限られた時間で、音楽に取り組む姿勢など、バンダ
メンバーの意識を改革されたことは特筆されます。また、それまでのバンダでは、メンバー相互間の
付き合いは、少なかったようですが、家族合同のバーベキュー大会を開催されるなど、プライベート
な面でのコミュニケーションも図られていました。



中野さんは、首都のテグシガルパに、韓国大使館が新設された時、同大使館主催の祝賀会に招待され
ていましたし、テレビ出演始め、雑誌掲載、また、新聞では特集が組まれ、生い立ちから紹介されて
いました。時々、サインを求められることもあったようです。



つい最近のことなのですが、とても懐かしい思いがします。
中野さんを囲んでのミニ ホンジュラス会となりました。



集合では、シニアは、さすがに早く、間瀬さんを筆頭に、幹事・進行役の柏田さん、携帯連絡先の
五味さん、更に、松本さんは、気温35度のセブ島から参加されていましたが、この日の5度前後と
いう寒さに震えられていました。



望月さんは、奥様とご一緒でスキー場からの帰りだそうですが、4月から南山大学大学院へ進まれる
そうです。既に、スペイン語検定1級の実力者ですが、得手に帆を上げ、更に学ばれるようです。
奥様は、JICAホンジュラス事務所の日本人学校で幼児教育をお手伝いされていました。



大嶺さんは、都内の会計事務所に勤務、土産品開発提案プロジェクトでも活躍の米山さんは、5日前
の帰国で4月から職場復帰、久田さんは、中学校教諭、同期の佐々木さんは、病院勤務、田邊さんは、
4月から小学校教諭、隠善さんも、土産品開発提案プロジェクトでも活躍されましたが、今は、旅行
を楽しまれたいそうです。



親子の年齢差を超え、ごく自然に集えるのも、JICA世界での貴重な体験の賜物なのかも知れません。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず、ではありませんが、青年海外協力隊員もシニア
海外ボランティアも、この川の水のようなものなのかも知れません。



中野さんは、ホンジュラスで新たに発行された20レンピーラ札を持参されていました。
何でも、この紙幣1枚に、80レンピーラの費用がかかるそうです。



しばらく遠ざかっていたホンジュラスを身近に感じる1日となりました。





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