セント・ジョージズ・キーの公式行事に招かれました。

9月祝賀式典の公式オープニング セレモニーが、ベリーズの最初の首都だったセント・ジョージズ・キー
で行われました。

National Celebration Commissionのシャリィさんのご配慮で、ラディソンホテルから出発する外交官用の
ボートに乗船出来ました。9月祝賀会委員会の会長でもあるHonourable Manuel Heredia, Jr.観光大臣も
乗船されていました。

ひょんなことから、エルサルバドル大使館の大使とダニエルさんと知り合えました。また、ボートの中では、
ユニセフのPauletteさん、いつか訪問したいと思っていたNICHベルモパンのInstitute of Archaeologyの
ディレクターJaime Aweさんと偶然知り合えました。

どのように人脈をたどろうかと思っていましたが、突然、本人と直接知り合うことが出来ました。話を交わして
いる内に、2007年のホンジュラス・コパンルイナスで開催された国際学会の場で、一緒だったことが分りました。

セント・ジョージズ・キーの小さな島が首都だったことを不思議に思いましたが、当時のベリーズシティは、
まだ湿地帯だったようです。また、セント・ジョージズ・キーを何となく無人島だと想像していましたが、
レストランやコッテージがあり、ベリーズシティからの手軽な観光スポットのように思えました。

私が誰だか分りますかと声をかけられたのは、NICH (National Institute of Culture and History)プレシデントの
Diane Haylockさんで、隣の男性は、セント・ジョージズ・キー地方自治体の長John Searle, Jr.さんでした。
咄嗟には、返答できず、女性は服装が変わると別人のように思えますのでと応えるのが精一杯でした。

中華民国貝里斯大使館のFan参事とChang一等秘書のテーブルに合流しました。1974年に添乗した台湾最南端の
鵝鸞鼻と墾丁公園は、ホテルからの眺めが素晴らしく、誰も席を立とうとはされなかたことを思い出しましたが、
現在では、ホテルがたくさん並んでいるそうです。また、1975年に花蓮から台中までを、東西横貫公路で行き
ましたが、現在は地震の影響で一部通行できないようです。

中華民国貝里斯大使館は、ベリーズ観光産業協会とは同じ通りにあり、1分ほどで行けますが、ようやく訪問する
手がかりを得ることが出来ました。何より、ベリーズの漢字が分り、嬉しく思いました。

青年海外協力隊の尾崎あゆ美さんと、芝田悠未子さんが短期間の任務を終えられ、明日帰国されます。
送別会に合流しました。元々、ベリーズに派遣されている人数は少なく、ベリーズシティで活動されている青年海外
協力隊員はいませんので、極めて限られた人数での送別会となりました。

7月11日のボランティア総会で行われた活動プレゼンテーションを思い起こしました。活動、生活全てのことが凝縮
されていたようです。さぞかし、密度の濃いベリーズの日々だったことと思われます。

これまで、シニアにお付き合いいただき、ありがとうございました。



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