ホンジュラスのいろいろなスペイン語の挨拶

40年程前のことになりますが、日本でスペイン語を勉強する
ということは、辞書の引き方を覚える程度だと、聞いたことが
ありました。言葉としては、随分、乱暴なのですが、要するに、
日本で学ぶのには限界があり、やはり外国語は、その国の環境
の中で学ぶことが大切だということなのでしょう。
しかし、外国で学べる人が、ほんのわずかなことは、今も昔も
そう変わりはないことと思います。



考えられる会話の場面を想定しながら、ある程度、受け答えを
備えることはできます。自分が思う方向に話を持っていければ、
それだけ長く得意分野で会話が出来ます。
それに、相手が、確実に黙って聞いてくれる自己紹介などでは、
日本で覚えてきたことが、十分に通用します。それこそ、暗記
してきた文章を流暢に話したら、自分達の言葉を、十分に理解
できる人だと勘違いされてもしまうでしょう。



誰しも、外国語を学んできた以上は、それなりに、自負がある
ものと思われます。また、それが全くないようでは、せっかく
外国語を学びながら、卑屈になってしまいかねません。



赴任前に受けたスペイン語の研修で印象的だったのは、相手の
会話をさえぎる表現でした。
とりもなおさず、人が入り込む隙を与えない位に、喋り続ける
人が多いからということなのでしょう。



ホンジュラスでも、そんな場面に遭遇して、合点が行きました。
ただ、この相手の言葉をさえぎる言葉を口に出すのにも、なか
なかに、タイミングが必要なようです。



お早う。(自分の名前を呼ばれている)調子はどうですか? 
お早う。(相手の名前を言っている)全く問題ないですよ。
あなたは、どうですか?
このごく一般的な挨拶で、スペイン語を勉強した人なら、誰でも
知っている表現なのに、階段をすれ違うなどして、お互いに動き
ながらの場合だと、名前を思い出せなかったり、間違えていたり
何も挨拶出来ない内に、通り過ぎてしまったり、辛うじて口に
出来ても、言い終わる頃には、結構離れてしまったりしています。



この毎日の挨拶にも、思わぬ変化球があります。
ビエン、トードビエンが一般的ですが、話し言葉として、
ホンジュラス独特の表現で、マシーソ、モロコツゥード、
俗語で、マカヌード、トードチェーケ、更に神のお陰で
と言葉を加えることも出来ます。同じ俗語でも、かなり
品のない言い方では、ピィフード、更にそれを可愛らし
く表現したピィフゥディート、カチンポンなど、辞書に
は載っていない言葉があります。これらの言葉の後には、
神のお陰で、と言うことはないようです。



俗語は、仲間内では問題はないのですが、場をわきまえ
ないと大変なマナー違反になってしまうようです。
誰から教えてもらったのかを問われて、うっかり口を滑
らしたら、その人とは、付き合わないようにと脅されて
しまいました。半分本気なら、半分の冗談に期待したい
ところですが、本人は真顔でした。正しい言葉を覚えて
欲しいという親心のようなものなのでしょう。



ところが、親の心子知らずで、どういう訳だか俗語とい
うのは、直ぐ頭に入ってしまいます。しかも、確かなこ
とは、親密度が急激に増すということです。鎧兜で構え
ていたものを取り払い、裸の付き合いが出来るとでも、
言ったらいいのでしょうか。



ここでは、誰もがスペイン語で話しています。
望むべくもない環境に身を置いています。
語学の学習では、獲得するものこそあれ、失うものは、
何もありません。覚えられるのは、僅かなものですが、
継続していくことで、力にしたいものと思っています。





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