シニアボランティアの報告会が行われました。




閏年の2月29日のことです。
そのことだけでも、後々、思い出深い日になるだろうなと思いました。
ほぼ1年を経過した私を含めたシニアボランティア3名、そして、この3月に帰国
されるシニア3名が、この順でこれまでの活動を報告しました。 



発表は、同期のNさんから始まりました。パソコンは不得手だったのではないかと
思っていましたが、日本語のホームページを立ち上げられていてPRに努められる
ところでした。また、プライベートに、日本語を教えられることで、着々と地元に
人脈を築かれているようです。



Nさんが赴任されているのは、首都のテグシガルパから車で約7時間、また、国内
最大の商業都市サン・ペドロ・スーラから約3時間半のユネスコ世界遺産に指定さ
れているコパン ルイナス遺跡がある所です。
年間数十万人の観光客が訪れる、ホンジュラスの代表的な国際観光都市です。
ホンジュラスグアテマラ、メキシコと広がっているマヤ文明の世界の中で、その
最高芸術を誇る遺跡なのですが、年間の日本人観光客数は、2,000人以下で、
まだまだ、日本からは遠い存在のようです。



もし私だったら、Nさんのように、この地で日本語教室を開いているだろうか。
恐らく横浜縄文土器づくりの会の経験から、コパン ルイナスに残されている土器
をデジタル写真に収め、ミニチュアを作っていたのではないだろうか。
マヤ文字にしても、もの凄く魅力があるし、それこそ、お土産にと、提案したかも
知れない。そんなことを思いながら発表を聞いていました。







ボランテイアの任期が2年というのは、十分、意味があるように思います。
以前観光庁に赴任されていた方は、任期が1年間でした。ということは、今の私が、
もう任期を終えて帰国することになります。これでは、個人的には、ホンジュラス
の生活を、十分に楽しめていても、より手応えのある活動ということを考えると、
やはり、これからの1年という気持の方が強くなります。



最初の半年は、当初とは異なった部門に配属となり、ホンジュラス観光国家戦略と
いう観光庁のバイブルとでもいうべきものを渡され、毎日、ひたすら読んでいました。
先ず、ホンジュラスという国、そして観光庁そのものを理解して下さいということ
なのでしょう。
その次には、ホンジュラス観光魅力タカログという観光庁内の資料を更新するように
言われました。当然のことながら、ホンジュラス国内の地名が、たくさん出てきます。
デゥルセ・ノンブレ・デ・クルミというおよそ地名とは思えないような名前もあります。
肝心のその地名が、何処にあるのか、まるで分かっていません。地図と見比べながら
の作業となるのですが、どうして、これほど小さな字で書いてあるのかと思えるほど、
小さな文字です。いくら探しても、見つからないことがあります。その時は聞くしか
ありません。作業を進めるために、どれだけ他の人の仕事を邪魔したか分かりません。



邪魔したと言えば、前任者の報告書で、デジカメを持って行って、写真をプレゼント
すると喜ばれると書いてありました。観光庁に赴任するからには全員の名前を覚えて、
友達をたくさん作って帰りたいと思いました。紹介される度に写真を撮らせてもらい、
顔と名前を覚えるようにしました。ところが、観光庁は、完全なコンピューター社会。
当たり前のように、写真をメールしてねと、言われてしまいました。



写真をパソコンに取り込むことも、メールすることも全く分かりません。
第一写真を撮った人の名前もよく覚えていません。何をするにも、全て人の力を借り
ないと進みませんでした。ただ、パソコンの知識がなかったことで、人の仕事を邪魔
しながら、その人とコミュニケーションがとれるという変なことになりました。
これも不思議な感覚ですが、ホンジュラスの人は、人から何か聞かれると、親身に
なって対応してくれます。そんなことも分るようになりました。
ですから、活動というよりは、ホンジュラスのことを勉強するために、留学させて
もらっているような気分でした。活動らしい活動と言えば、昨年6月の第3回コパン
国際学会に、1週間出張した際、約900枚の写真を撮ってCDに記録したことを
挙げられます。また観光庁内での国旗掲揚やクリスマス、誕生日会といったイベント
で、これまた写真を撮ったことなどです。



ホンジュラスでの生活にも慣れ、観光庁でのコミュニケーションもとれ、シニア始め
青年海外協力隊の人達ともネットワークらしきものが構築されてきて、JICA事務
所の人達や、一部、日本大使館の方達とも、いろいろな行事を通して知り合えてきて
います。また、スペイン語も、ホンジュラスらしい表現なども、少しずつ増えてきて
います。健康診断も無事にパスしました。
これまでの1年は、まさにこれからの1年のためにあったものと思えます。



中でも、とりわけ大きな変化は、このブログにデビュー出来たことです。
強く勧めてくれた友人に感謝していますし、その気になった自分を嬉しく思います。
いずれにしても、自分で発信できる手段を得たことは、ホンジュラスをPRして上で
欠かせないものだと思っています。
これからの1年を見ていて下さいと、何やら決起宣言の様相を呈していました。



Aさんは対照的に赴任当初から仕事の枠に組み込まれていて、具体的な活動に入って
いました。発表では、得意のパソコンを生かされ、スマートにプレゼンテーション
されていました。



ここまでで、まだ半分です。
長くなってしまいますので、この辺で打ち切らせてもらいたいと思います。






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