昨日、何時もの通勤路で、小火がありました。




アパートのゲートを出て間もなく、左前方に、黒い煙が上がっているのが
見えました。クレープの美味しいレストランからのようでした。
煙は、ほんの少し前に上ったばかりのようです。反対車線だったため、
まだ交通規制などはありませんでしたが、それなりに渋滞していました。



煙は、レストランとアパートの間にある幼児用の教材を販売している店から
でした。消防車のサイレンの音は聞こえていましたが、その姿は見えません
でした。



消防車と言えば、昨年、日本は、30台の消防車を、ホンジュラスに寄贈して
います。真新しい消防車には、日本からの援助だということが一目で分かる
ように、日の丸が書かれていました。引渡式と呼ぶのでしょうか、その式典
で並んでいた30台の消防車は、圧巻だったそうです。翌日には、消防署でも
イベントが催されて、バンダ(ホンジュラス国立吹奏楽団)が国歌を始め、
数曲を演奏したようです。



ほぼ同じ時期に、台湾は、ホンジュラスの小学校にパソコンを、数万台寄贈
していました。どちらの印象が強かったのかは分かりませんが、各国が競って、
ホンジュラスに援助をしているようです。



小火がクレープ レストランではなかったのは、不幸中の幸いでした。
とても眺めの良い場所にあり、ちょっとした憩いの場になっています。
盆地の上から景色を見渡せます。例えて言えば、レストランは、お椀の縁にあり、
景色は、お椀の底を眺めるような感じです。ここのクレープの味は、定評があり、
デザートとしてだけではなく、クレープの料理メニューもあります。



昨年、子供達が夏休みを調整してホンジュラスに来てくれましたが、その時に、
Nさんから、クレープレストランの利用を提案されました。窓際の席を陣取り、
ゆっくり過せたことを思い出します。



この日の夕方には、在ホンジュラス日本大使館主催の講演会がありました。
昨年11月、日本政府は、ホンジュラス国立考古学歴史研究所所長のダリオ・
エウラーケ氏を、日本に招待されたようです。その講演が「ホンジュラス人の
目から見た日本」と題して、ホンジュラス・メトロポリターナ大学の講堂で
行われました。
ところが、うっかり、デジカメを持たないで、出かけてしまいました。



大学は、セントロ アメリカ通りに面していました。この道は、毎年9月15日の
独立記念日には、車が、ほぼ終日規制されてしまいます。全国から集まってきた
独立記念日を祝うパレードが、延々と続き、列をなして最終集合地のサッカー
スタジアムを目指します。パレードを見ようと沿道には大勢の人が集まります。
また、その人達を当て込んだ簡易模擬店も並んで商売をしています。歩道橋の
上でも、身動きできないような人であふれていました。観光庁も、独自の山車を
仕立てて参加していました。普段は、車しか通れない主要幹線道路を、パレード
と一緒に歩くというのは、なかなか楽しいものでした。



受付では、ユネスコ世界遺産コパン・ルイナス遺跡から少し離れている、当時の
衛星都市になるのでしょうか、エル・プエンテ遺跡のパンフレットが配られて
いました。JICAが整備した遺跡です。こうした遺跡が、周辺に、まだ数多く
眠っているそうですが、ここを訪れることによって、往時のマヤの生活圏やその
規模を再確認できることになります。コパン遺跡とセットで訪問したいものです。



肝心のプレゼンテーションでは、写真がたくさん使用されていて、見る人には、
とても分かり易いものでした。400名収容の会場は、9割ほど埋まっていました。
中には、日本語を学んでいる学生もいました。ホンジュラスでも、日本に関心が
ある人が大勢いるようです。



会場には、日本大使始め、文化・芸術・スポーツ省副大臣ホンジュラス・日本
友好協会会長などの姿がありました。



講演終了後には、軽食と飲物が用意されていました。
帰宅直後に、会場へ駆けつけましたので、ここで、一息つけました。





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