コマヤグア大鋸屑絨毯の紹介です。

昨日は、地上カーペットと予告させていただきましたが、実は、適切に翻訳された
言葉を見ていません。どのような言葉が良いのか考えましたが、そのまま直訳して、
大鋸屑絨毯として、紹介させていただきます。あまり馴染のない言葉なのですが、
実態は、言葉通りとなります。



観光庁では、毎年、オフィシャル トラベル ガイドとして、春夏版、秋冬版の
ホンジュラス チップスを、年2回発行しています。



そのホンジュラス チップスによれば、ユカタンを征服したドン・フランシスコ・
デ・モンテッホ総督が、ドン・アロンソ・デ・カセレスに、太平洋と大西洋の中間
地点で、また、グアテマラ シティとニカラグア レオン市の中間でもある場所に、
都市の建設を命じました。それがコマヤグアで、サンタ・マリア・デ・ラ・ヌエバ
バジャドリッド・デ・コマヤグアというスペイン北西部の県都に新しいという言葉を
重ねた、長い名称を持っています。1537年12月8日のことです。
その後、ホンジュラスが、1821年に、スペインから独立した時に、コマヤグアが、
首都となりました。



コマヤグアは、首都テグシガルパから80キロ、産業の首都と呼ばれるサン・ペドロ・
スーラから140キロの距離で、この最も重要な二つの都市を結ぶ幹線道路上に位置して
います。標高は550メートルで、広い谷の中央は、存在感のある山々に囲まれています。
気候は、日中こそ暑くなるものの、夜間は涼しく過し易くなります。



ここコマヤグアで、毎年、セマーナ・サンタの時期に、カトリックの宗教行列が
行われます。行列は、サン・フランシスコ教会から始まります。
21日金曜日の午前10時から12時まで、キリストが処刑されたゴルゴダの丘までの
約2時間を想定して、キリスト役が十字架を背負い、その後を、司祭始め、修道女、
山車、音楽隊などが、大鋸屑絨毯の通りを歩きます。途中、十字架の道行きの留と
呼ばれる立ち寄るための場所が14箇所設けられるようです。



その行列が通る道に、一晩の内に、大鋸屑で絨毯を作ります。
全部で24と言われていますが、デザインは、宗教に関係するものに限られている
ようです。どんなものを作るのかは、事前に届け出なければならないそうで、心象や
抽象的なものでも構わないそうです。但し、作る人は、カトリック信者に限られて
いるそうです。家族や友人達と一緒に作業するようですが、ほぼ徹夜になってしまい
ますから、かなり敬虔なカトリック信者だと言えそうです。



20日木曜日の夜から作り始めます。21時から始めるグループもあれば、23時からと
いうグループもありました。



先ず、道路を綺麗に掃いてから、大鋸屑を敷き、高さを均します。それから木の枠で
デザインが仕切られたものに従い、色の着いた大鋸屑を付けていきます。黄色を表す
のにトウモロコシを利用したり、米で白色を表現している作品もありました。
慣れない作業に、時々腰を伸ばしながら、細かなところまで丁寧に作業していました。
また、大鋸屑が、風で飛ばされたりすることがないように、背中に水の入ったボンベ
を背負い、霧のような水を撒いている係りの人もいました。



誰もが、数時間後には、ここに行列が通り、全てが壊されてしまうことが分かって
いるのですが、一生懸命になって作っていました。キリストが磔になった歴史は変え
られませんし、時代も場所も、全く異なったホンジュラスのコマヤグアなのですが、
せめて、キリストが歩いたと想定される道に、今、自分達が出来ることをしよう、
ということなのでしょうか、理屈などでは推し量ることの出来ない、強い信仰心が
働いているようです。



観光的に大鋸屑絨毯にばかり、目がいっていましたが、これは、やはりカトリック
大切な行事でした。カテドラルの脇道が、キリストが磔になった場所として設定され
ていました。司祭が、集まった大勢の人達を前に、マイクで静かに語りかけていました。
顔をゆがめて、聴いている人や、涙を拭っている人もいました。



JICAボランテイアも、たくさん見に来ていたようで、よく出会いました。
その中に、21日が誕生日の人がいたようです。仲間の人達が、大鋸屑を分けてもらい、
行列が通る車道ではなく歩道に、似顔絵のミニ絨毯を作っていました。年齢から
出身地までデザインされていましたが、さすがに、名前は、発音されにくいように
工夫されていました。ヘラルド紙で紹介されたようです。



誰かが、24時間テレビで、作ってみればいいのにと言っていました。
宗教にとらわれない自由な発想で、驚きましたが、実現すれば面白い
かも知れません。



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