コマヤグアのカテドラル(大聖堂)です。





セマーナ・サンタの最中、R氏夫妻に案内してもらいました。
コマヤグアへ行く途中の写真です。

写真を見て、直ぐに、コマヤグアだと分かる景色を撮りたかったのですが、
どうやらイメージしていたものとは、大きく異なるようです。



ホンジュラスでは、都市によっては、代表的な街の景色というのは、どうやら
教会に集約されてしまうようです。確かに、ほとんどの都市には四面を囲まれた
中央公園があり、教会、市役所、学校が、セットでもあるかのように公園に
面しています。何処も似たような景色に思えてしまいますが、それぞれの建物
には、特徴があるようです。



コマヤグアらしい代表的な写真というのは、カテドラル(大聖堂)になるようです。
1711年12月8日に建てられていますが、当時では、最大の大聖堂で、
今もその美しさを保っています。



大聖堂なのですが、処女懐胎、無原罪教会の一面も持つようです。
正面の模様に、バラの花の形をした丸いものが6個ずつ合計18個ありますが、
当時の18村の数を表していて、この大聖堂を作るために、税金で貢献したことを
示しているそうです。



像は、向かって左が、アウグスティン、右が、ヘロニモ、2階では、グレゴリオ
アンブロシオ、その上は、左からサン・フアン・エル・バウティスタ、処女懐胎
サン・ホセです。一番上の像は、キリストになります。



向かって左側の塔には、各面に2つ、計8つの鐘楼があります。
大きな時計が見えますが、西暦1100年のトルコ製で、スペイン国王フィリップ3世が、
コマヤグアの大聖堂に贈ったものです。その当時の大聖堂というのは、現在の
メルセッド教会のことで、1636年から65年間使用されていたのですが、新しく
この大聖堂が建設された時に、ここに移されています。まだ時を刻み続けている
時計としては、アメリカ大陸で最も古いものと言われています。



文字は、古代ローマ字が使用されています。ですから文字盤の数字は、IVではなく、
IIIIと表されています。この時計の上の部分だけは、直ぐ近くのコマヤグア
人類学博物館にあります。写真の印刷機の上にある時計が、そうです。



ムーア人イスラム、トルコは、ここでは、同じ意味だと言われました。
当時のイスラム文明は、世界で最も進んでいて、ヨーロッパは、まだ片田舎だった
ようです。スペインのアンダルシア地方に残っている建築様式や中庭、高等学校の
社会人講座の時間に習ったイスラム文明、オハラ・ケという言葉は、イスラムから
きた言葉だとか、断片的なものが走馬灯のように回っています。
ホンジュラスも、当然、スペインの影響は受けていると、頭では理解している積り
なのですが、改めて、突きつけられたような思いがしました。



この時計は、担当の職人が、独りで整備をしていたのですが、技術を伝承すること
なく亡くなってしまったそうです。幸い、中米の他の国にも、同じトルコ製の時計
があり、グアテマラから、その技術者を呼び寄せて、事なきを得たといいます。
そのお陰で、今も現役として活躍しています。



スペインの支援で、一度、改修工事が行われています。
3年間のプロジェクトだったようですが、2001年に改修を終えています。



正面に、美しい祭壇があります。16の祭壇の内、当時のものが、まだ4つ残っている
そうです。木を彫り込み金箔が貼られています。左側の像が暗く見えるのは、
黒いキリストです。エスキプーラスという所の伝統から黒いキリストが作られて
いるそうです。何故、黒なのか分からなかったのですが、スペイン人が、カトリック
の布教のために、先住民の肌の色に合わせたからだそうです。
ホンジュラスでは、北部海岸のガリフナ族のようにアフリカの血を引いて、黒い肌
の人もいますが、一般的には、決して、肌の色が黒色ではないのですが、白い肌の
スペイン人から見たら、皆、黒色に写っていたのかも知れません。



中央の公園で黄色の花を咲かせている木は、コルテスという名前だそうです。
伝説によれば、メキシコを征服したエルナン・コルテスが、夜、暗闇の中で、
この木の下で泣いていたことから、コルテスと呼ばれるようになったという
ことです。中米の何処にでも見られる木だそうで、学名はあるのでしょうが、
コルテスの名で、良く知られているようです。征服者に、涙は似合わないので、
理由を尋ねたら、奥さんの浮気が原因だったとか。
これは、メキシコの話だそうですが、真実のほどは分かりません。
ちなみに、コルテスは、3月から4月にかけて、3〜4週間、花を咲かせるそうです。








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