トゥリブーナ紙に、JICA青年海外協力隊員の記事が2つありました。




1つは、新たに着任したJICA青年海外協力隊員の紹介記事です。
若い日本人の一行が、ホンジュラスの貧困削減のため、JICA青年海外協力隊員として、教育、健康、
芸術の分野で2年間、それぞれの自治体を支援すると報じています。



ホンジュラスでの任地は、エル・パライッソ、サンタバルバラ、フランシスコ・モラサン、コマヤグア、
ラ・パス、チョルテーカ、コロン、インティブカ、レンピーラの各県で、一行の内7人が、小学校で、
教師への助言や、直接生徒への指導に当たるというものです。



ホンジュラスの文化、生活になじむためと、スペイン語の研修期間があるため、任地に配属となるのは、
8月4日からで、その後、2010年まで活動することが、JICA大津調整員の談話として伝えられています。



JICAによるボランティア派遣プログラムは、人に対して直接的に働きかけ、恩恵をもたらすことから、
発展途上の国々で極めて好意的に受け止められていて、2008年の今日までに、3万人以上の青年海外協力
隊員が世界各地に派遣されていることも合わせて伝えています。



ホンジュラスとは、1975年にJICAボランティア派遣協定が取り決められ、1976年に3名が派遣されたこと
から始まっていると報じています。



もう一つの記事は、JICA青年海外協力隊の金子輝卓球隊員が、2年間の任期期間中に、卓球コーチとして、
ホンジュラスの青少年に大きな影響を与え、足跡を残したことを、ホンジュラス国立卓球連盟カルロス・
マルティン会長(FENATEMH)が、直々に紹介されている記事です。



カルロス・マルティン会長は、金子輝卓球隊員が、何処で何人指導したかなど、こと細かく伝えられて
いますが、特に、経済的に恵まれない子供達を指導したことに対して、強く、深く印象に残っておられる
ようです。同隊員への感謝の気持を真摯に伝えられています。そして、今後も、JICA青年海外協力隊員を
受け入れていきたいと表明されています。



今週月曜日に、金子隊員始め17名の青年海外協力隊員が、帰国しました。



お互いに、何か行事がある時にしか会わないので、こうして紹介されて始めて、その人が、具体的に
何をやっていたのかを知ることになります。しかし、例え新聞の記事にはならなくても、それぞれが、
ホンジュラスの人達に、大きな影響を与えてきたことは、容易に想像できます。



1人1人が、それぞれの2年間で大きく成長していますが、同時に、周りにいるホンジュラスの人達も
大きく成長していることになります。



ホンジュラスは、2007年6月までに、青年海外協力隊員946名、シニア海外ボランティア150名を
受け入れてきています。










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