ガリフナ文化が色濃いコロン県に、きました。

ラジオタクシーは、依頼した時間通りに来てくれました。
今年75年の節目を迎えたTACA航空で、イスレーニャ航空の手続をしました。さすがに窓口のY氏も、
3日も通うと顔馴染みになっていました。



チェックインカウンターにいたY氏が、搭乗ゲートにやってきたところで、搭乗開始となりました。
定刻の6時25分に出発し、予定時間の7時10分に、ラ・セイバ ゴロソン国際空港に到着しました。



観光庁A氏の友人N氏が、サンタフェから迎えにきてくれることになっています。電話をしたら、後30分位で着く
と言われました。出口の辺りで待っていると、TACA航空の職員が寄ってきて、ロアタンへは行かないのかと尋ね
られました。24日に、この位フォローされていたら、乗り遅れるようなことはなかったのですが、その代わりに
大荒れのカリブ海を経験していたかも知れません。



N氏からD氏を紹介されました。
3人とも早朝から行動しています。先ずは、しっかり朝食を摂ってから打ち合わせることにしました。



ガソリンを補給、タイヤの空気圧を確認して、いよいよ出発です。
サンボクリークまでは、9月に、カジョス・コチーノスへ行った時に来ています。
それから先の道が、初めてのコースとなりました。



トルヒージョは、ホンジュラス最初の首都でした。
代表的な観光スポットのサンタ・バルバラ要塞は、カリブ海を見下ろす高台にあります。大砲が何門も据え付け
られていましたが、16世紀の当時では、大変な火力を誇っていたものと思われます。今は、とても穏やかな所で、
スペインのつわものどもが夢の跡といった感じです。要塞のはずれに、海賊ウイリアム・ウオーカーの墓があり
ました。1860年と刻まれていました。



N氏は、博物館を見てもらいたかったようです。外に雨ざらしになっていましたので、そのことを指摘したら、
建物の中に案内してくれました。



82歳というR氏が、これまでに収集されてきたものが、所狭しと並べられていました。
失われていくホンジュラス文化財を保護するために、個人で収集されたものだそうです。コメントを求められ
ましたので、小・中・高の学校と連携を図り、授業で見てもらうことを提案、大学生にお願いして、先ず掃除を
してもらい、時代毎に分類、それぞれの説明文を掲示、また、ホームページを作成して公表されたらどうかと
応えました。



外国からの援助はどうかという話しにもなりました。そんなことに対して発言する立場には毛頭ありませんが、
一般的な話しとして、どこの国であろうが、個人の収集に対して、国が援助をすることは、考えにくいのでは
ないだろうかということを話しました。



大変な情熱で収集されてきたことは、よく分かります。新聞の切抜き記事が、掲示されていました。
市長によるコメントでしたが、記事では、ゴミ同然のガラクタと表現されていました。



収集したものを保護してもらえることが分かっていれば、寄付をすることも出来るかも知れません。あるいは、
いっそのこと価値の分かる人に売ってしまうのも良いかも知れません。しかし、あくまで、ホンジュラス
文化財として、しかも個人の博物館として成立させようとすると、少し無理があるように思えてしまいました。



トルヒージョからサンタフェまでの道路は、舗装されていません。
でこぼこ道を揺られている内に、寝てしまったようです。辺りは暗くなってきていました。車は、個人の住宅の
庭に入りました。



明日の話しになりましたので、ガイドさんの家かと思って尋ねたら、サンタフェのL市長さんの家でした。
名前だけ紹介されたのでは、全く分からないことになります。横社会独特の感覚なのか、ガリフナ社会の
彼らだけのものなのか、よく分かりません。



今日も長い1日となりました。






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