テグシガルパに戻りました。




サンタフェ イカーポ ホテル オーナーのNさんは、昨夜は遅くなられたようですが、5時半には起きてくれ
ました。いつもは、もっと遅くまで寝ているそうですので、起きられますかと尋ねたら、一度約束したことは
必ず守ると、キリッとした表情を見せられていました。その時、何だか、武士に二言はないという言葉を思い
出しました。



お陰で出発時間の1時間前には、空港カウンターでチェックイン出来ました。
荷物検査の人達も、昨日、何度も出入りしていたので、覚えてくれていました。



イスレーニャ航空の出発時間は、7時30分です。7時頃、テグシガルパ行きのソーサ航空便の搭乗案内があり
ました。取り敢えず、テグシガルパの空港が閉鎖されていないことが分かり、安心しました。



昨日、空港待合室で最後まで残っていたF氏に会いました。F氏は、ロアタンからテグシガルパへ向かう
ところでした。ソーサ航空のロアタン行きの案内がありました。5人乗りの小さな航空機は、別枠のようで、
係員が、直接お客様を案内しては飛び立って行きました。イスレーニャ航空機の姿は、ありません。まだ
到着していないようですが、サン・ペドロ・スーラから来るそうです。



何便も飛び立っていって、待合室にいる人は、10人ほどとなりました。アナウンスは何もありません。
イスレーニャ航空のクルーと思われる人に、直接尋ねましたら、もう間もなくサン・ペドロ・スーラから到着
するというものでした。ラ・セイバまでの飛行時間は、25分だそうです。



F氏は、テグシガルパへ向かう乗客が少ないので、サン・ペドロ・スーラから来た便で、また、サン・ペドロ・
スーラに戻り、客を乗せてから、ロアタン、ラ・セイバ経由で、テグシガルパへ向かうのではないかと冗談を
言っていました。昨日からずっと待たされています。空港待合室にいても、何のアナウンスもなく、いらいら
していても不思議ではないのですが、冗談で笑い飛ばしています。



出発予定時間の約2時間後の9時20分に、やっとテグシガルパ行きのアナウンスがありました。この便の乗客は
5人でした。飛行出来れば、ラ・セイバからテグシガルパまでの所要時間は、30分なのですが、とても長い
時間かかったことになります。ちょうど10時に、テグシガルパのトンコンティン国際空港に到着しました。
とても、懐かしい感じがしました。



アパートに戻ったところで、Mさんから電話が入りました。
部屋にいますよと応えたら、びっくりされていました。



お向かいの部屋のNさんから、夕食に誘われましたが、向かった先は、Mさんのアパートでした。



この間の事故のことで、間もなく最終判決があるそうです。その中で、事故を起こした大型トレーラーの
運転手が、裁判官に、どのように申し立てているのかを、Mさんから聞かされました。



前を走行していた2台の車が、ふらついていたため、それを避けるために右に寄った。
ぶつけた車のホンジュラスの運転手から、お前を殺すと脅されたので、その場を離れ、近くの警察で事故を
報告したというものでした。



かなりのスピードで路肩走行し、渋滞で止まっている車にぶつけておきながら、現場に戻ることもなく、
自分の車輌を放置し、仲間の車で逃げ去り、会ってもいない日本人の運転手をホンジュラス人の運転手と
いい、しかも殺すと脅されたなど、加害者が被害者のようなことを言い立てているものでした。



ここまで言えるのは、何かトラブルの際のマニュアルが作られているのではないかと思えてしまいます。
言い逃れの嘘をついていることは明白なのですが、それが相手の弁護士の知恵なのかは分かりません。
大型トレーラーは、グアテマラナンバーでしたが、運転手が何処の国籍だったのかまでは、聞いていません。
何故、路肩走行していたのかは、今も分かっていません。大した怪我はなかったのですが、これで重傷を
負ったり、命を落としたりするようなことがあったら、何の意味もない話になってしまいます。



事故を起こしたことはあり得たことでしたが、その場を逃げたことや、裁判所で偽証していたことが、
犯罪にはならないのか、とても不思議に思えます。裁判所での審議初日に出頭することで、運転免許証が
返してもらえるそうです。何故、こうした事故が起きたのか、事故の究明がなされない内に、運転免許証が
返却されてしまったことになります。その後、数回審議が行われたそうですが、運転手は、姿を見せなかった
そうです。



今、ここにこうしていられることが、本当に不幸中の幸いだったことが改めて感じられます。



Mさんの奥様とNさんの美味しい料理を、ご馳走になりました。








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