オリンピック村でテニスを楽しみました。




午前は、薄曇で少し肌寒くも感じられたのですが、昼過ぎには、短パンがピッタリの天気に
変わってしまいました。



青年海外協力隊員、専門家、シニア海外ボランティア、JICA職員、日本大使館職員、関係者や家族が
集いました。国籍も日本人の他に、チリ、パラグアイ、米国と国際的なメンバーになりました。



米国人女性は、GTZに所属されているそうです。日本ではJICA、米国ではUSAIDに相当する
ドイツの機関だそうです。バージニア州出身の方で、行ったことがあるかと聞かれました。



1972年に遡りますが、旅行会社への招待旅行でバージニアへ行く機会がありました。
確か1976年の米国独立200年祭に合わせて、世界中から観光客を誘致するために、米国の旅行産業界が
結束して国際グループの下見ツアーを企画していました。日本からも2社の旅行会社が招待されました。
海外旅行がブームになり始める頃のことです。



基本コースは、ボストン集合、ニューヨーク解散で、日本、英国、ドイツ、フランス、ポルトガル
メキシコ、オーストラリアの旅行会社が招待されました。サンフランシスコまでは、パンアメリカン
航空、ボストンへの乗り継ぎは、アメリカン航空、その後の移動は、鉄道(アムトラック)が主で、
ワシントンDC、フィラデルフィア、ウイリアムスバーグ、バージニア州シャーロッツビル、ニューヨーク、
そして、ニューヨークからロサンゼルスまでは、ユナイテッド航空、更にホノルル経由のノースウエス
航空への乗り継ぎでした。ホテルは、ヒルトンやシェラトン、トラベロッジだったと思います。



当時のボストンでも日本人は珍客でした。バージニア州でのレセプションで、日本人を初めて見たという
女性がいました。トーマス・ジェファーソンの出身州で、呼び捨てにしていたら、ここでは、皆が敬意を
表して、ミスター・トーマス・ジェファーソンと呼んでいるとアドバイスされてしまいました。



はるかな大昔のことですが、懐かしく思い出されました。







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