とうとう、観光庁での最終日となりました。
所属先5階のマーケッティング部から1階受付まで、観光庁全職員の皆さんに、ご挨拶させてもらいました。
青年海外協力隊員Sさんに折り紙で鶴の折り方を教えてもらっていましたが、準備してきた折り紙の鶴は、
好評でした。4階の人事課へ行った時に、課長さんから、昼食を招待すると言われました。
JICA担当調整員のTさんが、休日にもかかわらず観光庁を訪ねて来られました。
リカルド大臣と、お別れの挨拶のアポントをとっていましたので、お付き合いいただきました。
リカルド大臣への表敬は、1ヶ月ほど前にお願いしていたことだったのですが、秘書のAさんが、きちんと
時間を確保してくれていました。
マーケッティング部長は、米国マイアミのトラベルマートから戻られたばかりで、テレビ会社2社の取材を
受けられていました。
中二階のスペースでは、業者がタケアーダを準備していました。
これまでに、観光庁で、タケアーダを食べたのは、リカルド大臣と、パウラ副大臣の誕生日会の時でした。
思いもかけませんでしたが、今日は、私の送別会のために準備されていました。既に、人事課長さんの名前で、
観光庁の全職員に、昼食時の送別会が伝えられていました。観光庁最終日に、最初にお世話になった商品企画
開発部や、現在のマーケッティング部など、大勢の皆さんと、昼食を共に出来ました。
これまで、旅行先での写真をCDやDVDにして記録してきましたが、それを利用して、私を紹介する
プレゼンテーションが作成されていました。
人事課長さんから、何か言葉を伝えるようにと促されました。
昨日、国際協力庁で挨拶した内容を、少し手直しした形で伝えました。更に、ホンジュラスでは、どのような
言葉を覚えたのかを、皆の前で披露するように、言われました。当たり障りのない言葉から俗語まで、覚えて
いたホンジュラスならではの言葉を話しました。
外国人が、自分達だけに通じると思っている言葉を理解していることが、よほど可笑しかったのか、笑いが
絶えず、誰が教えたのかも言うようにといった注文まで飛び出しました。
人事課長さんから、ヴァジェ・デ・アンヘレス特産の木彫りの箱と、レンカの織物、陶器をもらいました。
木彫りの箱の蓋を開けると、内側には、私の名前が刻まれていました。
また、箱の後ろには、「支援ありがとう。観光庁」の文字がありました。
また、人事課長さんから、先ほど挨拶した内容を、広報担当者に知らせるように言われました。
メモリーを渡したところ、観光庁の全職員宛にメールされました。
2月に、特務戦略コマンドで日本文化を紹介していたことも写真入で紹介されていました。
まだ、挨拶が出来ていなかったパウラ副大臣と、上長のマーケッティング部長を訪ねました。
パウラ副大臣とは、ベランダで一緒に写真を撮ってもらいました。
外出されるマーケッティング部長を、エレベーター前でお見送りしたのが、お別れとなりました。
二次会と呼べば良いのでしょうか、17時を過ぎてから、Sさんの家に集合しました。
個人のお宅へ行くのは、Jさん宅に次いで2回目です。帰国間際という局面で、ようやくプライベートな
お付き合いが出来るようになったようです。
Sさんはベリーズに電話していたようで、父親の在ベリーズ国ホンジュラス大使と話を交わすことが出来ました。
美人弁護士のEさんには、60歳以上の年齢割引の法的根拠を教えてもらい、店とのやりとりまでも指導して
もらっていました。挨拶の中では、年齢割引にも触れていましたので、印象を尋ねたところ、ホンジュラス
の文化の中に入ってきたと言われました。嬉しい言葉で、2年間の滞在で、少しは、ホンジュラスの文化を
理解できたのかも知れません。
首都テグシガルパの夜景は、見飽きません。
帰国まで、いよいよ秒読みとなりました。