テレビ東京に「ルビコンの決断」という番組があります。

「ふるさとを救え…黒川温泉・奇跡の物語、寂れた街を100万人が訪れた」というタイトルでした。
不況と言われている最中、地方で成功している具体例を紹介して、少しでもヒントや活性化の参考になれば
ということのようです。



熊本県の黒川温泉は、かっては、何の変哲もないこぢんまりとした温泉街だったそうです。旅館の数は、
全部で24軒。どうすれば、温泉客を呼び寄せることが出来るのかが、大きな課題になっていました。



しかし、そんな中でも1軒の旅館だけが流行っていました。洞窟の露天風呂を作っていたことから、黒川の
岩窟王と揶揄されていました。まだ全国でも、露天風呂が珍しい頃でしたので、極めて特徴のある旅館と
なっていました。



この旅館の経営者は、京都や金沢などの観光地に出かけては、女性客の後ろについて歩き、会話を聞いていた
そうです。そして、都会の人達が、癒しを求めていることを察知して、黒川温泉を訪れる人が、故郷を感じら
れるように、自然の景観を演出することに注力していました。



客足の途絶えた旅館経営者が、秘訣を聞きにいったところ、庭を露天風呂にするようにアドバイスされます。
他の旅館も追随し、露天風呂では、全国に先駆けることになります。通行手形からヒントを得て、入湯手形を
有料で発行し、どの旅館に宿泊しても、他の風呂を利用できるようにしました。



温泉客の生の声を聞いたことから、不揃いだった宿の看板を、木製で統一しました。看板だけではなく、宿や
橋まで、色調を合わせました。訪れる人に、ふるさとを感じてもらえる演出が現実となりました。そして、
この時8万人だった温泉客が、その後、ついに100万人を突破しました。



農地が売りに出た時は、事情を説明して買い取り、黒川温泉に相応しい旅館を建てていました。
また、ガソリンスタンドが売りに出ると、温泉組合で買い取って運営し、近代的なホテルなどが建たない
ようにするなど、ふるさととしてのイメージを壊さないように、配慮していました。



ここでは、旅館が競合するのではなく、黒川温泉という一つの共通のイメージを売り、各旅館が部屋のような
役割を果たしていました。ふるさとというもっと大きなイメージのためには、出来るだけ自然な雰囲気を醸し
出せるように、街路樹なども、整然と並べるのではなく、わざと不揃いに工夫されていました。行政の環境
指導とは異なっていましたが、黒川温泉を日本一のふるさとにしようという強い情熱が、行政を動かしました。



ホンジュラス世界遺産のコパン・ルイナス遺跡のあるコパン・ルイナス市では、大型航空機の空港や、いわ
いる近代的なホテルの建設が規制されています。また、建物の高さや、壁、建物の色なども定められています。



ホンジュラスは、行政主導型と言えますが、黒川温泉では、旅館組合の自主的な方針で進められていました。
こうしたことが実現するためには、変人扱いされるほどの情熱を持った人が必要なのかも知れません。個の
利益ではなく、全体の利益を優先させていますが、とても難しいことのようにも思えます。その辺のことが、
奇跡の物語という言葉に表れているのかも知れません。



黒川温泉のふるさと作りは、未完成だそうです。訪れる人に、それぞれのふるさとを感じてもらえるように、
これからも、更なる演出が続けられていくようです。






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