ブエノスアイレス・エセイサ国際空港に到着しました。

ワシントンD.C.からは、22時7分発の夜間飛行になります。ボーイング767型機は、ほぼ満席でしたが、東洋人は
見当たりませんでした。同じユナイテッド航空への接続でしたが、この便のアルコール類は有料で、スコッチの
ミニ小瓶は6米ドルでした。今回の旅行には相応しくないのでやめにしました。



約10時間半のフライトの全席に映画などの小さな画面が用意されていましたが、固定されていたため、前の人が
座席を倒すと、後ろの席では、画面が見えなくなってします。言いにくかったのですが、座席を戻すように伝え
ました。この便では、せっかくのサービスが台無しになっていました。



機内で配られた入国審査は名前、旅券番号、宿泊先といった簡素なものでしたが、税関申告書類欄には、携帯の
有無があり、製造会社名や機種名、更に価格も記入するようになっていました。わからない部分は、その時に
話すことにしました。



入国審査は、とてもスムースで、歓迎の言葉と共にスタンプが押されました。90日間滞在できます。続く税関審査
では、検査台に荷物を置いて待っていたのですが、前の人が丹念に検査されていました。それを見ていた空港係員
から出るように指示されましたので、結果的に荷物は無審査で入国してしまいました。



税関内の両替レートは、1米ドル3.29アルゼンチン・ペソ(1ペソ約28円)ですが、税関目の前の銀行では、3.785
(1ペソ約24円)でした。ガイドブックには、3.8と記されていますので、ほぼ同じものです。



インフォメーションカウンターで、地図(アルゼンチン全土、ブエノスアイレス) と宿泊資料をもらいましたが、
地図は日本語で書かれていました。



市内までは、マヌエル・ティエンダ・レオン社のバスを利用すると40ペソで、その先の宿泊先へは、5ペソ追加の
計45ペソ(1,080円)で行けます。コレクティーボというパブリックバスを利用すると、料金は2ペソ(48円)ですが、
荷物が多いことや、3時間位かかると言われてレオン社のバスにしました。



一番前の席しか空いていませんでした。隣り合わせになった人は、チェコスロバキア人でした。ベリーズのマヤ
遺跡で会った人も国籍をチェコスロバキアと言っていました。国は分かれても、祖国感情としては一つのようです。
話をしている内に、市内ターミナルに着きました。これから先は、タクシーやバス会社の車で、それぞれの宿泊先
に送ってもらうことになります。



空港から市内まで1時間ほどでしたが、ターミナルで1時間ほど待たされました。しかし、この料金で宿泊先まで
送ってもらえるので、不愉快に思うようなことはありませんでした。



待っている間に、ユースホステルを予約することにしました。しかし、電話の掛け方が分かりません。バス会社の
職員は、客をさばくのに精一杯でしたので、ガードマン氏にお願いしました。25センターボス(6円) コインを使用
します。ボタンを押すとコインが電話機に落ち、8桁の番号をプッシュしてつながりました。



繁華街にあるフロリダ通りのユースホステルは、満室でした。知り合ったばかりでしたが、チェコスロバキア
Y氏のユースホステルに合流することにしました。予約はしていないが、オーナーとは友達なので問題ないと言って
くれました。1泊約10米ドルで、朝食付だそうです。



全く不安を感じないと言えば、嘘になりますが、ユースホステルでは、他人と同室になります。こんなことでめげて
いたら、この先、旅行出来なくなってしまいます。選択肢があることを優先しました。彼は、サバイバル関係の仕事
をしていて、会議や指導のために、このユースホステルを定宿にしているそうです。著作の本を見せられました。



幸いベッドにも空があり、朝食付1泊35ペソ(840円)で、相部屋となりました。他には、ブラジル人が2人いるそう
です。

 

宿泊できなかったフロリダ通りには、銀行や両替商があるそうで、Y氏が案内してくれました。地下鉄の乗り方の
勉強になると思い、誘われるままについていきました。料金は1.1ペソ(約28円)均一。地下鉄の駅は、行きと帰り
で、利用駅が異なるそうです。Pasco駅からAlberti駅に戻ることになります。

 

レート表示が一番良かった所でも、1米ドル3.7アルゼンチンペソでした。彼は、夕食に中華レストランを案内した
かったようですが、店は閉まっていました。小雨になり、コーヒーブレイク。他に用があるそうで、ここで分かれ
ました。



ホームにある大きな駅名表示前にいた男性にAlberti駅への行き方を尋ねたところ、その次の駅まで行くと同行
してくれました。ちょうどラッシュアワーで、日本と同じ光景が見られました。1台待つことになりました。
木製の地下鉄は、年季が入ったもので、窓は開いていました。



地下鉄を降りたところで、ホステルのあるメキシコ通りへの道を尋ねました。ペルー通り、ベネズエラ通りという
ように、この辺りの通りには、中南米の国の名前がついていました。真っ直ぐ8本先の通りが、そうだと教えられ
ました。途中、警察官を見かけて再確認しました。COTOスーパーが目印になっていて、直ぐに分かりました。

 

ホステルの玄関口は、その都度ブザーで開けてもらいます。ベッド脇に備えられた木箱が貴重品入れで、持参した
鍵を使います。数字の組み合わせと鍵の両方を用意してきました。



何より有難いと思ったのは、インターネットを使用できることです。しかも無料でした。ネットカフェを見つけた
としても線でつなげなければ使えません。まるで事前に分かっていたかのような幸運です。コンセントは、全世界
で対応できる8個のプラグを購入してきましたが、大正解でした。このホステルでは、3ヵ所とも異なったプラグが
必要でした。



同室のブラジル人は、ウジミナス製鉄所の近くだそうです。鉄は国家なりの製鉄・造船大国の日本が技術指導
した製鉄所ですが、もう半世紀になろうとしています。航空会社での面接を受けるために、アルゼンチンに来た
そうです。宗教談義を持ちかけられました。もう一人は、ベジタリアンで、アルゼンチンに来て初めてスペイン語
を話したと言っていました。



日本とは、ちょうど12時間遅れです。シーツも準備してきましたが、備えられていました。シャワーを浴びると、
直ぐに眠ってしまいました。



VI・LUZ Y ENTRE HOSTEL
MEXICO 2233 (C1222ABI) Buenos Aires・Argentina Tel.(5411)4941-1155
www.viluzyentrehostel.com.ar





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