ダカール・ラリー アルヘンティーナ・チリの応援に合流しました。

拓大OBの菅原先輩(62期・自動車部)が、親子で参加されているそうです。しかも、ギネスブックの連続参加記録を
更新中だそうです。



アルゼンチンとチリ、それぞれの国に在住のラテンアメリカ研究会OBの方々が、応援に駆けつけられるそうです。
たまたまチリのサンティアゴに居合わせていましたので、合流させていただきました。



既に、アルゼンチンのN先輩から、サンティアゴの岸野先輩に、学校名が入った幟が届いていました。
岸野先輩は、ホームセンターを巡られたようで、幟を支えるプラスチックの棒を準備されていました。



応援団にとっては、ダカール・ラリー アルヘンティーナ・チリがどのようなコースを通り、何処に
集結することになっているのか、また、何時頃に到着するのかといった情報は得られないままに、この
日を迎えられていました。



午後になってから動きがあり、高橋先輩、岸野先輩と一緒に、集結場所のコリーナスへ向かいました。
サンティアゴから車で1時間ほどの所だそうです。高速道路の料金所で、集結場所の再確認をされて
いました。



コリーナスには、14時少し過ぎに着きました。大勢の人達が、車やトラック、オートバイの到着を
待ち受けていました。チリの車が到着すると、一際大きな歓声が起こりました。砂埃が舞うほどの
風はあるのですが、陽を遮るものは何もありません。幟の影で涼んでいる人もいました。10分毎に
交代しましょうかなどと軽口でコミュニケーションしました。



オレンジ色に黒の漢字で書かれた幟は、それだけで目立つようで、高橋先輩は、チリのテレビ局の
インタビューを受けられていました。日本の新聞社や、テレビ局の方々も来られました。スポンサー
日野自動車の方から、ラリーの様子や、大体の到着時間を教えてもらいました。



トラック部門では、60台の参加があったそうですが、約40台がリタイアーしてしまったそうです。
南米ルートは、これまで以上に過酷なレースなようです。



ラリーは、約9,000キロのタイムで競われるそうです。出発から到着までの時間だけではなく、
途中に、指定された区間が何ヵ所も設けられているそうです。ドライバーは、ナビゲーターと
一緒に、現在位置から、その区間を把握しながら特別区間のタイムも競っているそうです。
当然、一般道も走るわけですから、細やかな運転も要求されるようです。



競技をしているのは、ラリーに参加している車だけではなく、消耗部品の交換や飲食糧の補給
など、支えるチームで戦っているようです。



応援団の補給は、岸野先輩が持参されていたコーラと、お弁当のおにぎりをいただきました。
持ってきた水は、お湯状態でした。若しかしたら、ラリーのお二人のために用意されてきた
ものかも知れませんが、有難くいただいてしまいました。



幟を見て、何組もの人達が記念写真を撮っていました。



岸野先輩は、サンティアゴ市内の日本レストラン・将軍のオーナーであり、皇居で勲章を受けられ
ていますし、何より革命商人のモデルとしても知られています。チリに、最初に日野自動車
トラック12台を入れられたのは、K先輩だそうです。革命前、軍は市内戦を戦うだけの弾薬を
持っていなかったそうです。この12台のトラックが、武器弾薬を運ぶのに役に立ったそうです。



ようやく、18時頃に到着するというニュースが入りました。ご子息は、全体で暫定6位、部門別では
トップ、父親の先輩は、暫定11位というものでした。



ようやく、日野のトラックが入ってきました。
菅原先輩は、拓大の幟に気づかれたようで、大きく手を振っておられました。



お会いできるかも知れないと、19時半位まで待っていました。柵で仕切られていて、警察官がガード
しています。打診しましたが、こちらからは、中へ入ることが出来ません。止むを得ず、引き上げる
ことにしました。



日本レストラン・将軍で夕食をご馳走になってしまいました。奥様やお嬢様を、紹介いただきました。
刺身は、この後、ブエノス・アイレスへ行くまでは、食べられないと言われました。ほんの少しの積り
だったのですが、話が尽きず、長居してしまいました。






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