恩師・布施先生から国際電話がありました。

4月23日、留学気分。
1週間振りにネリー商品企画開発部長に会いました。挨拶にしても、さりげなく神のお陰でという
言葉が続きました。ホンジュラスでは、何事についても、神という言葉を、よく聞きました。
ホンジュラス全国地図と見比べながら、観光戦略を自習。机は、観光戦略政策課の一角で、分から
ないことは都度、ヤラ課長や、隣室の統計課カルメンさん、ホセさん、ハイメさんに尋ねました。
留学経験はありませんが、何だか留学したような気分でした。



4月24日、ホンジュラス中央観光情報センター。
先輩シニア海外ボランティアの長谷川さんが、訪ねて来られました。北部海岸第二の都市テラで
活動されていて、観光イラスト地図に取り組まれていました。凹凸地図の製造先や、デザイン会社
を知りたかったようでした。観光庁の中央観光情報センターに来られた方には、ホンジュラス
情報誌HONDURAS CHIPSとホンジュラス全国地図、「小さな国に3つの世界」冊子などが無料で配布
されています。



4月25日、愛称。
観光庁内では、役職で呼び合うことはなく、大抵は、ファーストネームの愛称でした。
女性のブランカさんだと、ブランキータで、男性アルフレードさんは、アルフレディートでした。
敬称は、男性がドン、女性は、ドーニャですが、大臣始め、役職者や年輩者に配慮されていました。



4月26日、国際電話。
思いもかけなかった恩師・布施先生から、アパートに国際電話が入り、とてもびっくりしました。
絵葉書を受け取られた先生が、自宅に問い合わされ、電話されたものでした。小学校5年生の時の
担任の先生で、長瀞へ遠足に行った時、酷い乗物酔いで迷惑をかけてしまいました。
先生は、クラブ活動では文芸部の顧問をされていました。いつもガリ版を刷られていたことが強く
印象に残っています。文集「エントツの子」を指導されたことで大きな賞を受けられました。
乗物酔いには、その後も苦しめられましたが、敵討のような積りで旅行業界に入り、1972年、
米国への研修旅行で克服できたことを報告できました。以後は、年賀状で近況報告させていただいて
いました。



4月27日、誕生祝。
フィナンシィエロ紙に掲載されたリカルド・マルティネス観光庁大臣のインタビュー記事を見て
いたら、ヤラ課長の誕生祝に誘われました。この日が誕生日だったのかまでは覚えていませんが、
ハッピィ バースデー トゥ ユーを、皆で歌い、歌詞の通り、ピザと、ケーキ、コーラで祝いました。
まだ、スペイン語では歌えませんし、皆が話す時は、相当なスピードでしたので、何を話題にして
いるのか、聴いているだけで精一杯でした。



アパートへの帰路、JICAホンジュラス事務所に寄ったところ、中村様からピコ・ボニートの貴重な
写真のCDをいただきました。






   
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