布施庄平先生が、ご逝去されていました。

先日、この度、大変残念かつ悲しいお知らせとなりますが、私達の5年3組の担任だった

布施庄平先生が、昨年10月に、ご逝去されました...。いつか、布施先生を偲ぶ会を

持てれば幸いですという文面の葉書が、女性同級生3人の連名で届きました。



大きなショックを受けました。



布施先生は、小学校5年生の時の担任の先生でしたが、これまで交流させていただいて

いました。クラブ活動では、文芸部に所属しましたが、先生が受け持たれていました。

布施先生には、いつもガリ版を刷られていた記憶があります。当時、先生がまとめら

れた文集「エントツの子」が評価され、大きな賞を受けられました。授業では、教室を

各班に分けて指導されましたが、小集団活動の先駆けだったのかも知れません。個人的

には、遠足で酷い乗り物酔いをした時に、家までおぶってもらったことがありました。



乗り物酔いには、その後も苦しめられました。中学の修学旅行は辞退。高校では、品川

から修学旅行列車・日の出号で京都へ向かいましたが、小田原辺りで瀕死状態。翌日に

は、連絡を受けた父親が迎えに来てくれて、新幹線で帰りました。乗り物酔いの原因が

臭いにあったことを知ったのは、最近のことです。



大学時代、卒業記念旅行を計画した麻雀仲間から、八丈島への旅行を誘われました。

もちろん断りましたが、せめて見送り位はして欲しいと言われて、竹芝桟橋へ出かけた

ところ、そのまま拉致されてしまい、三宅島を過ぎた頃には、仮死状態で、八丈島

到着しても、体は、しばらく揺れていました。



帰路は航空便でと思いましたが満席でした。また台風が接近していて波が高い状態で、

はしけを利用して、船とはしけが同じ高さになった時に、一人ずつ乗船しました。

船は、行に酔うと帰りは酔わないと暗示にかけられました。また、八丈島では怪我を

したこともあり、船室ではなくデッキで風に当たっていました。時々波をかぶりました

が、奇跡的に船に酔わずに戻れました。



漠然と長い間苦しめられてきた乗り物を利用する職業につきたいと思いました。

麻雀仲間Dr.KENの父親が旅行業界におられた縁で、就職することができました。



1972年4月、米国200年祭への事前研修招待旅行に参加する機会を得ました。ボストンに

集合し、フィラデルフィアワシントンD.C.、ウイリアムスバーグ、シャーロッツビル

など米国の独立に由来する地を訪ね、ニューヨークで解散。帰路は、ロサンゼルス、

ホノルル経由。布施先生に、やっと乗り物酔いを克服できた手応えを報告でき、それ

以後、年賀状で近況報告させていただいていました。



布施先生に最後にお目にかかったのが何時だったのかを調べたら、1996年5月12日で

した。先生が、横浜周辺を散歩されたいということから同行させてもらったように

思います。この時の話だったのかは、はっきり覚えてはいませんが、スリランカ

日本人学校の先生として赴任されていたそうです。



布施先生からいただいた最近の便りでは、1995年と1996年のはがき、2003年から2007年

までの年賀状が手元にあります。



2003年 山へも行け(前穂3090、奥穂3190)、海外は韓国、トルコにも行け、2月には

    沖縄で カンヒザクラの花見、4月末 立山・大谷で4mの高さの雪壁の道を

    歩いたり とにかく元気。

2006年 1月マレーシア ボルネオ・キナバル山4095mに登りました。 5月、南米、

    イグアスの滝マチュピチュの空中都市、ナスカの地上絵を見ました。

2007年 昨年の最高の喜びは、中国の四姑娘山(スークーニャンサン)の一峰5025mに

    登れたこと、その麓ですばらしい花の群落に出会えたことです。

    (ブルーポピー、エーデルワイス、黄桜草など)

    ことしも いい年で ありますように。

 

毎年、ご自身の健康を確かめられるかのように、登山と海外旅行を楽しみながら、

自己実現されておられたようです。



2007年3月27日、JICAシニア海外ボランティアとして、中米ホンジュラスに着任後、

絵葉書で報告させてもらいました。4月26日、首都テグシガルパのアパートに、電話が

入りました。布施先生からの電話でした。

突然の電話口で、布施です、と言われた時には、本当にびっくりしました。

温かいお気遣いをいただき、その後の活動の嬉しい励みとなりました。



2008年7月6日、御子息からメールをいただきました。先生が連絡を取られたいとのこと

でした。直ぐに返信したところ、7日のメールで、ご自宅の電話番号を知らせていただき

ました。手帳には、ホンジュラス時間7月8日午前7時30分、布施先生へ電話とメモして

いますが、この時のことは、よく覚えていません。外出されていたようにも思えます。

どうやら、そのまま、タイミングを失ってしまっていたのかも知れません。



まだまだ、お元気だとばかり思っていました。お目にかかれれば、お話しすることは、

山のようにあるとも思っていましたので残念でなりません。



布施先生に、これまでご指導賜り、また交流いただき、感謝の気持で一杯です。



謹んでご冥福をお祈り申し上げます。






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