語学研修の地、首都ベルモパンに来ました。

ベリーズシティから首都ベルモパンまでは、ウエスタンハイウエイを車で1時間15分ほどでした。
途中、JICAベリーズ支所ドライバーのアンドリュウ氏に、いくつか質問をしましたが、ハイウエイ
沿いに広告看板が少ないのは、そうした宣伝への効果を、あまり期待していないからだそうです。
人口が約35万人の国だということを、いつも頭に置いておかなければならないのかも知れません。

首都ベルモパンは、2年前に、サンイグナシオへ行くために、バスターミナルで乗換、通過した
だけでしたが、こうして、語学研修で訪れることになるなど、その時は思いもしませんでしたので、
感慨深いものがあります。

外務省に立ち寄り、身分証明書を発行してもらいました。待ち時間を利用して、周辺の写真を撮って
いましたが、一般的に、ベリーズの人は、写真に写されるのを嫌う人が多いので、許可を受けた方が
良いと言われました。単に景色を撮っていても、あまり良い印象は与えないようです。

ベリーズ国の父と呼ばれる初代首相ジョージ・プライス記念館に案内してもらいました。
誰からも尊敬されているそうですが、現在も健在で、ベリーズ・シティに住んでおられるようです。
子供に、子供の目線で話しかけられている写真が印象的でした。カメラマンの目には、ベリーズ
いう子供が、これから歩んでいくであろう長い道のりを前に、寄り添い、話しかけいるジョージ・
プライス初代首相の姿を重ね合わせていたのかも知れません。

研修先のベリーズ大学へ行き、ランゲージセンター長のローズマリー・モデラさんに会いました。
とても気さくな方で、過去、多くの日本人研修生を受け入れられていました。シニアを受け入れられた
感謝の気持を伝えました。

当初、モデラさん宅にホームステイの予定と伺っていましたが、大学の近くのお宅に変更されていました。
そして、受け入れのサーディア・トゥレルファさんが、迎えに来られました。以前から知り合っていた
ような感じで接してもらいました。英国人のご主人と、スペイン人の父親との3人暮らしの家庭です。

シニアの受け入れに関しては、父親との同居の延長線で、全く問題なかったそうです。
過去、何人か日本人を受け入れられていました。日本の津波被害など、矢継ぎ早に質問されました。
そして、青年海外協力隊員が交通事故で亡くなられたことに触れられました。2007年のことで、直ぐ近くに
住んでいたそうです。ベリーベリーナイスボーイで皆に愛されていたと繰り返されていました。

サーディアさんは、スペイン語を話されますので、ここにきて、ようやく準備していた自己紹介文が役に
立ちました。庭から取られたというハバネロを見せてもらいました。




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