朝夕に涼しさを感じるようになりました。

朝食は、野菜と果物が主体で、それなりに納得できていますが、昼食と夕食は、どう考えても油を摂り過ぎている
ように思えます。油を控える積りで、スーパーのサンドイッチの列に並びました。

客は、前に数人いただけでした。従業員の一人は、種類別の野菜を補充していました。今1人は、注文を受けながら、
パンを切り、ハムや野菜をはさみ、ドレッシングのサービスをしていましたが、レジへ移動してしまいました。

日本なら、一旦作業を止めて、接客を優先するように思えますが、黙々と自分の手順の作業を続けています。ここは、
彼らの文化圏なので、別に腹も立ちません。両手に透明のプラスチックの手袋をして、野菜を前のボックスに移して
いました。

作業を終え、右手の手袋を取り換えていました。きちっとマニュアルがあるのか、手順の一旦なのかは分りませんが、
ようやく、目が客に向かいました。ただ、左手も野菜を握っていましたので、その手で、今度はパンを持ちますので、
どう考えても、野菜の水分がパンについてしまうように思えます。

どうでもいいようなことですが、つくづく日本は配慮の文化だということを感じます。日本人にとっては、ごく自然に
相手への配慮がありますが、自分が中心の文化では、他人への配慮などは元々必要ないのかも知れません。

配慮の文化では、気遣いとか、気働きといった、自分が逆の立場を想定できますが、配慮を感じない文化では、例えば、
細い道をすれ違う場合にも、お互いに譲ことなど考えられないのかも知れません。辞書を引くと、英語にもスペイン語
にも、かしげるという言葉はありますが、日本語のかしげといった感覚とは異なるように思えました。

日本人のサービスが世界のトップレベルと聞いたことがありますが、恐らくマニュアルなどではなく、相手への思いやり
の心がそうさせるのでしょう。それにしても、誰に教えられることもなく、同じような感覚を持てるのは、風土からくる
気質なのかも知れません。

恐らく、言葉で伝えれば分るかも知れませんが、あまり意味を持たないかも知れません。
何しろ、周囲は誰も、そのようなことを期待しているようには思えません。

あるホテルに宿泊した時のことを思い出しました。備え付けの家具は、使い物になりませんでした。材料が木で作られて
いると、湿気などで、木がそってしまい、開けっ放しの家具は、閉まらなくなっていました。日本の神社仏閣を引き合い
にするのは酷かも知れませんが、木がそることまで考慮されて、陽が当たる個所と、日陰の個所では、異なった材質の
木材が使用されていました。

更に、道具の多さに驚かかされました。ほんの些細なことと思える個所にも、用途別の道具が揃えられていました。相手の
身になって考えることが出来る人が、手抜きすることなく、持てる力と技を発揮して、より良いものを作ろうとします。
ライバルは、生きている人だけとは限らず、古の作品が師匠やライバルとなることもあるようです。

一部の限られた世界の出来事ではなく、日本国中で、あらゆる分野で、創意工夫や切磋琢磨がなされる訳ですから、より
良いものが作られてきた訳です。

サンドイッチの従業員から、日本の良さを教えられたような気がしました。



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