ベリーズの北部コロザルで新たな出会いがありました。

ホテル マヤを出て数分の所で、車のエイカーマンさんから声をかけられました。今日も時間が取れないけれど、
次回のコロザル訪問の前日に連絡するように言われました。

コロザル タウン役所を訪ねましたが、どうやら管轄外だったようです。教育省で尋ねるようにアドバイスされ、
まもなく青年海外協力隊の星さんが出勤するので、場所を確認するように言われました。

職員の皆さんは、星さんを待ち受けていましたが、星さんから、今日が誕生日であることを知らされました。
コロザル タウン役所での活動は、まだ半年位だと思われますが、すっかり仲間として定着されていました。

教育省へは歩いて行けました。途中、コロザルタクシー協会長から声をかけられました。セッロス マヤ遺跡と、
サルテネッハまでの料金を知りたいと思っていましたの、ラッキーでした。

教育省では、突然の訪問にも関わらず、丁寧に応対してもらえました。ククルさんという名前を聞き、思わず
ククルカンのククルさんですか、と尋ねると、笑いながら、そうですと応えられました。尋ねたことは、後から
メールすると言ってもらえました。

マヤの人達は、大雑把に北部がユカテックで、中部がモパン、南部がケッチ マヤに分かれていて、言葉や文化
なども、かなり異なるようです。ユカテック マヤの人達は、メキシコとの国境近くか、コロザル地区内部の
ヨ・チェンに多く住んでいると聞き、11時発のバス(2ベリーズドル・1米ドル)で内部のヨ・チェンへ向かいました。

この辺がヨ・チェンと教えられて、バスを降りました。先を歩く男性に用向きを伝えると、チェアーマンの家で聞く
ように言われ、あの女性の後を追うように言われました。チェアーマンの奥様で、同じバスに乗車されていました。

訪ねると、3軒先の叔母が詳しいからと、電話を入れてくれました。

アデライダさんは、ユカテック マヤ語を話すと言われ、自宅にあるマヤの生活用品を紹介してくれました。
トルティージャを掬う長いスプーンには、ククルカンの文字が書かれていました。レクと呼ばれる容器に、
トルティージャを入れておくと、4時間位は、焼いた時の温度を保つと言われました。

ノーザーンハイウエイから、かなり内部に入っていますので、とても歩ける距離ではありません。バスが何時くる
のか見当もつきません。しばらく待っていたら、遠くからくる車の音が聞こえました。タクシーでした。乗るのを
ためらっていたら、ハイウエイまでで、お金なんか取らないと言われました。途中、警察官、更に、歩いていた男性、
女性の親子も乗せて、あっという間にハイウエイに到着しました。誰かがお金を払おうとしたら、押し返していました。

目の前を、サトウキビを満載した大型トレーラーが通過しました。タイミングよく、オレンジウオーク行のバスに
乗り込めました。料金は、3.5ベリーズドル(1.75米ドル)位だったと思います。

せっかくの機会ですので、オレンジウオークにある砂糖工場に寄ることにしました。バスターミナルで14時発の
ベリーズシティ行の後は、15時ちょうどだとアドバイスされました。砂糖工場はタワーヒルにありますが、聞き
間違えてパワーヒルと言っていたのですが、全く問題にならないようで、タワーヒルで降ろしてもらえました。
バス料金は、1.5ベリーズドル(0.75米ドル)位でした。

少し歩きますが、砂糖工場までは1本道で直ぐに分りました。近づくに従い甘い匂いがしてきました。サトウキビの
トレーラーが列をなしていました。ところが、工場内で何かトラブルが発生していたようで、数時間も並んでいると、
説明を受けました。コロザルから来たドライバー氏で、ククルさんとも、アデライダさんとも知り合いでした。
この景色は、滅多にないものだったようです。

乗用車から降りてきた人から、ブリスセンターで、ジョージ・プライス国父の葬儀が行われた時に、目の前にいたと
声をかけられました。覚えていませんでしたが、お蔭でハイウエイまで乗せてもらえました。

何時、何処で、誰に会うかなど、見当もつきませんが、今日も動くことで、新たな出会いがありました。ベリーズシティ
とコロザルは、確かに離れていますが、ベリーズは、とても狭い世界のようです。アパートに戻ったら、ククルさんから
メールが届いていました。



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