ささやかなことに幸せを感じられることが幸せなのかも知れません。



アパートは、ノーザーンハイウエイに面しています。ベリーズ観光産業協会の始業時間は、
午前8時ですので、いつも6時半から7時の間のバスを待っています。この時間帯を過ぎると、
ラッシュアワーとなり、15分位で行けるところが、倍以上かかってしまいます。

アパート前でバスを待っている人がいました。この辺のローカルバスは、レディビルか、
ベラマで、この2本は必ず停まってもらえますが、北部からのバスは、ベリーズシティの
ターミナルまで、降りる乗客がいない限り、停まってはくれません。

ところが、今朝は、サルタネッハ発の水色のバスが、停まってくれました。二人掛けの
ところを3人が座ったり、通路に立ったりしている人がいるほど混んでいましたが、先に
待っていた人のお蔭で乗車出来ました。

ラッキーだったのは、このバスだけは、ターミナルではなく、ダウンタウンまで向かいます
ので、オレンジストリートの7、8分を歩かなくても済みます。歩くことは運動になるので、
苦にはしていませんが、たったそれだけのことでも、とても幸せな気持になれました。

時々、マヤの人達と、幸せ談義になることがありますが、これまでの話では、お金は、決して
幸せの尺度ではないようです。以前、南米旅行でチリに行った時、ユースホステルの受付の
ドイツ人女性が、自分の友達は皆貧しいけど、皆幸せだと言っていた言葉が今も忘れられません。

大抵の人にとっては、どうでもいいような、取るに足らないささやかなことを、幸せと思えるか
どうかが、分かれ道になっているようにも思えてきます。

6時半にベリーズシティから3.5マイルの地点を通過するということは、恐らく毎日、4時半、
5時起きの生活をしていることになります。中には眠っている人もいます。お互いに、言葉を
交わさなくても、混み合ったバスに乗り合わせていることで、どの様な生活なのかは、ある
程度は察しがつきます。また、仲間意識のようなものを共有できる気になれます。

案外、幸せは、さりげない日常の、さりげない中に潜んでいるのかも知れませんし、ささやかな
ことに幸せを感じられることが、幸せなのかも知れません。



人気ブログ・ランキングへ