第1回 日本祭り「日本の魂」が、テグシガルパで開催されました。

配布されたプログラムには、「日本の魂」という言葉が遣われていました。
日本を表現するために、ハポンとかニッポンと言わずに、日出る国とスペイン語に翻訳したまでのことだった
のでしょう。ですから、日出る国という気持で、素直に日本と訳せば良かったようです。



会場となったカスカーダモールでは、今年5月に、ラ・セイバ カルナバルで初お目見えしたお神輿が、存在感
を示していました。新たに正面の上部と下部に、大きな将棋の駒のような形をしたものが増えていました。
上部にはJICAの文字が、そして下部には、このお神輿が製造されたコマヤグア家具製造組合の略称の
ADECOが記されていました。



カリオンデパート前の広場は、午前は、日本大使館の皆さんによる折り紙教室となりました。
ソプラノ歌手でもあるSさんが折り方を説明されていました。お昼には、日本で研修したことのある同窓会の
アベハが、ホンジュラスでは寿司と言っている海苔巻きを用意して、販売していたようです。一方、松竹梅の
日本酒なども振舞われていました。



午後からは、日本人会の奥様方を主に、浴衣のデモンストレーションがあり、ホンジュラス人にも、着付けて
いました。また、JICA青年海外協力隊員やシニア海外ボランティアが、和太鼓、琴(ホンジュラスと日本
の歌)、獅子舞、ヨサコイソーランや、剣道、合気道といった盛りだくさんなメニューを紹介していました。
ヨサコイソーランには、ホンジュラス人の子供達も特訓を受けていたようで、早いリズムに懸命に合わせて
いました。



プログラムの合間を縫うかのように、JICAホンジュラス事務所のS所長の掛け声で、お神輿が、カスカーダ
モールの中で数回に渡って担がれました。



ホンジュラス吹奏楽団、通称バンダも、この日はハッピ姿で、大勢の観客を前に、日本の演歌も織り込むなど、
自在な演奏を披露していました。音響効果も良く、済んだ音が遠くまで響き渡っていました。ホンジュラス
首都で、演歌まで聴けたのですが、不思議なことに違和感などは、全く感じられませんでした。
また今日ばかりは、N指揮者も、ねじり鉢巻に浴衣、ハッピをはおったいでたちでした。強く望まれていた
JICA青年海外協力隊員の皆さんとのロックヨサコイを始め、ご自身もこの日の指揮を楽しんでおられるよう
でした。



観光庁の人達も、Dさん家族、Gさん、Mさんは従姉と、Nさんは、お母様と、また、最初の半年間上長だった
Nさんも、ご家族総出で見に来られていました。事前にメールでも、見に行くことを知らされていました。
Nさんは、マヌエル・ボニージャ国立劇場でのバンダコンサートでも、ご家族で見に来られていました。



カスカーダモールからの帰り際、トラックに積み込まれるお神輿を、写真に撮っていた時に、スーツにネクタイ
の男性から声をかけられました。日本の文化紹介が、他の地域でも行われるのかどうかが知りたかったようです。
ダンリのマイス祭、サンタ・ローサ・デ・コパンのことを伝え、13日に行われるコルキンでの算数運動会のこと
を話題にした時、自分の妻はコルキン出身だと言って、奥様の名前を口にされました。



観光庁の上長の名前が同じだと応えたら、急に奥様を探しにいかれました。
奥様のお話では、上長とは親戚になるそうです。ただ、ここ20年位は会っていないし、自分は良く覚えているが、
自分のことを覚えてもらっているかどうかまでは分からないと言われました。



効率よく人に会えているというか、世間が狭いと言えば良いのか、何ともびっくりするような出来事でした。



この日の打ち上げは、24時間営業の中華レストランで予定されていました。
20時頃から始まったのですが、あっという間に時間が経ってしまい、お開きになって、アパートに戻ったのは、
日付が変わる2、3分前のことでした。



長い日となりましたが、いろいろな人との縁を感じる楽しい1日でもありました。





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